〜幸せは“証明”じゃなく、“感じる”もの〜
はじめに:誰かの言葉で、ふと立ち止まるとき
「なんでそんなに幸せそうなの?」「結婚してないのに?」
ふとした会話で、そんなことを言われた。
悪意はなかったと思うけど、少しだけモヤっとした。
そのときは笑って流したけれど、
帰り道、頭の中に残った違和感を、言葉にしてみたいと思う。
幸せって、説明しなきゃいけないもの?
「私は幸せです」と言うと、「なんで?」「どうしてそう思うの?」と聞かれることがある。
でも、幸せってそもそも「感じるもの」であって、説明して納得してもらうものではないと思っている。
- ✅ 健康な体がある
- ✅ 毎日おいしくごはんが食べられる
- ✅ 自分の時間を、自分の意志で使えている
- ✅ 誰かと比べなくて済んでいる
これらが揃っているから、私は満ちている。
たったそれだけのことが、私にとっては「幸せ」だ。
「こだわりが強いね」と言われたときの違和感
私は、服もモノもシンプルが好き。
毎日同じような白Tシャツを着ているし、家や車にも興味がない。ブランドや推し活もしていない。
でもこれを「こだわりが強いですね」と言われることがある。
ちょっと違う。
私にとってそれは、「こだわらないこと」にこだわっているだけ。
つまり、余計な迷いや選択を減らして、
自分が本当に大切にしたいことに時間を使いたいだけなんだ。
所有欲がないからこそ、自由がある
私の幸せは、たくさんのモノや肩書きの中にはない。
むしろ「持たない」からこそ、自由になれていると感じている。
- ✅ すぐに動ける
- ✅ お金も、体も、時間も、自分で選べる
- ✅ 人やモノに振り回されない
- ✅ 静かな日常を、丁寧に積み重ねられる
誰かと違ってもいい。
誰かの基準に合わせなくても、「自分のペースで心地よく生きられること」が、私にとっての幸福なんだ。
「幸せにこだわってるね」と言われたら、誇りに思いたい
たしかに私は、「どうすれば幸せか」をよく考えている。
- 健康でいるには何を食べるか
- 自分の時間をどう使えば後悔しないか
- 誰と、どんな関係性を築きたいか
それを“こだわり”と呼ばれるなら、それでもいい。
むしろ私は、“幸せにこだわる人”でいたい。
幸せを、他人の基準で測らなくていい
「結婚してないのに幸せなの?」
「なんで家を持たないの?」
「その暮らしって、寂しくないの?」
そんなふうに言う人もいるけれど、
それはきっと、その人自身が“自分の幸せの定義”に縛られているだけかもしれない。
だから私は思う。
自分の幸せを、他人に証明する必要はない。
説明できなくても、自分が満ちているならそれでいい。
最後に:似たようなモヤモヤを抱えている人へ
この記事を読んでくれているあなたが、
もし、誰かに「なんでそんなに幸せなの?」と聞かれて言葉に詰まったことがあるなら。
もし、自分の選択や価値観を「ちょっと変わってるね」と言われて傷ついたことがあるなら。
それでも、あなたが今日、静かに心地よく過ごせているなら。
その幸せは、絶対に偽物なんかじゃない。
あなたの幸せは、あなたのもの。
堂々と、その感覚を信じてほしい。
💡まとめ:自分に納得しているなら、それが幸せ
- 幸せは「持ち物」じゃなく「納得感」
- モノを持たない暮らしが、心を自由にすることもある
- 「こだわってる」と言われても、気にしなくていい
- 自分にとっての快適さを、大切にしていこう
今日も、自分のペースで、生きていこう。
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